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資料提供 江戸川区教育委員会 教育推進課学芸企画担当係 |
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木造日蓮聖人坐像(もくぞうにちれんしょうにんざぞう) 江戸川区指定有形文化財・彫刻 江戸川区平井6丁目12番9号 妙光寺 像高40.4センチメートル。寄木造。京五条大仏師田村式部卿の作で、胎内に銘文があり承應3年(1654年)の製作とわかります。 区内には室町期製作の日蓮聖人像が多く伝存しますが、この像は江戸時代前期の日蓮聖人像を代表する優れた製作です。銘文から仏師の動静が解るなど史料性も高く貴重です。 木造奪衣婆坐像(もくぞうだつえばざぞう) 江戸川区指定有形文化財・彫刻 江戸川区東葛西3丁目3番16号 清光寺 像高71.6センチメートル。室町時代後期(15世紀後半頃)の作。 三途の川のほとりで死者の衣を奪い取るという鬼女の姿を造形化したものです。 衣を着け、皺を刻んで歯・舌を彫りだし、右胸をさらして左膝を立てるさまには、室町時代の後期を下らない時期の出来栄えを示しており、彫刻史上および信仰史上貴重な作です。 表面の彩色は劣化していますが、総じて原容をよくとどめています。 |
妙光時日蓮聖人坐像(左) 清光寺奪衣婆像(右) (クリックで拡大) |
妙光時日蓮聖人坐像 |
清光寺奪衣婆像 |
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一之江名主屋敷は、江戸時代のはじめにこの地で新田を開いた田島家の屋敷です。一之江新田の名主を代々つとめてきました。 現在の主屋は安永年間(1772年から1780年)の再建ですが、屋敷林や堀をめぐらした屋敷構えは、創建当初のようすを伝えています。 見学/室内利用のご案内 一之江名主屋敷案内 一之江名主屋敷 交通アクセス |
一之江名主屋敷 (クリックで拡大) |
一之江名主屋敷長屋門 |
一之江名主屋敷主屋 |
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松本弁天臥竜の松 枝張りが大きい松で、区登録天然記念物です。樹齢は推定500年、高さ5メートル、東西16.5メートル、南北18.4メートルです。「新編武蔵風土記稿」にも高い老松に関する記述があり、この松と考えられています。境内の弁天堂は貞享元年(1684)に禅尼が創建したもので、弘法大師作と伝わる弁財天女像が祀られています。松は、区の景観重要樹木に指定されています。(場所等はこちら) 善養寺影向のマツ 国指定天然記念物。影向のマツは樹齢600年以上といわれ、大正15年に東京都の天然記念物の指定、平成23年に国の天然記念物の指定を受けており、繁茂面積では、日本一の松と言われています。影向(ようごう)とは、神仏がこの世に現れた姿のことです。(場所等はこちら) |
松本弁天臥竜の松(左) 善養寺影向のマツ(右) (クリックで拡大) |
松本弁天臥竜の松 |
国指定善養寺影向のマツ |
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平井天祖神社 平井天祖神社(平井7丁目)は、江戸時代の中平井村の鎮守でした。本殿は、江戸時代末期の茅葺き屋根で、銅板で覆われています。区指定有形文化財です(平成6年指定)。三間社流れ造りで、外壁には鳥や草木を題材にした精緻な彫刻が施されています。大小2本の鳥居には、鍛銅製のしめ縄が懸けられています。昭和3(1928)年に鳥居を改修したときに、地元の方から奉納されました。製作者は地元でブリキ屋を営んでいた川本清吉氏です。拝殿前小鳥居は、平成5年に補修再建されています。(場所等はこちら) 浅間神社の社叢 社叢(神社を囲む木々)は、この社の約4000坪の浅間神社境内を包むように茂り、昔から、「せんげん様の森」として知られています。 昭和57年指定、区指定天然記念物(場所等はこちら) |
天祖神社本殿(左) 浅間神社 社叢(右) (クリックで拡大) |
天祖神社本殿 |
浅間神社の社叢 |
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善養寺「天明3年浅間山噴火横死者供養碑」 昭和56年1月13日 有形文化財登録(昭和48年7月18日 東京都指定) 天明3年(1783年)7月6日から8日にかけて浅間山が大爆発をおこしました。関東一帯に大降灰があり浅間山麓には山津波がおこり、多くの村落・人家が押し流されました。多数の死者が出て、その死体は遠く、この近くの江戸川の中州に流れつきました。地元、下小岩村の人々はこの死体を収容し手あつく寺内の無縁墓地に埋葬しています。寛政7年(1795年)の7月に13回忌の法要をいとなみ、この供養塔を建て、その霊を弔いました。昭和30年ごろからこの碑は行方不明になっていましたが47年に寺内で発見され、ここに再建され今に伝えられています。 真蔵院「雷不動明王石造道標」 昭和57年2月8日 有形文化財登録 真蔵院の本尊、木造不動明王立像は「波切不動」あるいは「雷不動」と呼ばれ、多くの参詣者を集めました。この道標は「雷不動」に行くための道しるべで、文政元年(1818)に建立(再建)されました。 新川河口南岸(東葛西1-48-16先の路上)にありましたが、平成3年4月に倒壊したため、修復してこの地に移設しました。この道標には、新川の曳船のとも綱をかけた跡が残っています。 真蔵院「青面金剛像庚申塔(元禄11年銘)」 昭和61年2月12日 有形民俗文化財指定 旧東宇喜田村の庚申講中によって、元禄11年(1698)に建てられた庚申塔で、悪疫を退治する青面金剛を中心に、二童子、四夜叉を配した江戸時代の典型的なものです。文化2年(1805)に修復されたものと思われます。 称専寺「地蔵菩薩像庚申塔(万治3年銘)」「阿弥陀如来像庚申塔(万治3年銘)」 昭和59年2月28日 有形民俗文化財指定 「地蔵菩薩庚申塔」:門を入ってすぐ右側にあります。万治3年(1660)建立の石造菩薩立像ですが、銘文によって庚申供養のために建てられたことが分かります。 「阿弥陀如来像庚申塔」:建立の石造阿弥陀如来立像ですが、地蔵菩薩と同じく庚申供養のために建てられたことが銘文によって分かります。 上篠崎柳島の庚申塔河原道道標 昭和58年3月15日 有形文化財登録 鹿骨街道新皆面橋北側の水路上に庚申塔として祀られています。もともともう少し北にありました。台座正面「右かわら道」左側面「左江戸道」の銘文があり、「文化十三年丙子六月吉日」の年紀があります。 東福院「青面金剛像庚申塔(伝享保12年銘)」 昭和61年2月12日 有形民俗文化財指定 東福院門前脇にあります。塔型は駒形で、高さは本体が89センチメートル、台石が30センチメートルあります。享保12年(1727)の造立と伝えられています。上部に日・月像、中央部に青面金剛像とその下に二鶏像、下部には三猿像と四夜叉像が彫られ、台石には、旧西小松川村上組の庚申講員12名の名が記されています。日月、青面金剛、邪鬼、二鶏、二童子、四夜叉の像を備えた庚申塔は、区内はもちろん都内でも少なく貴重なものです。 |
善養寺「天明3年浅間山噴火横死者供養碑(左)
真蔵院「雷不動明王石造道標」(右) (クリックで拡大) |
善養寺「天明3年浅間噴火横死者供養碑」 |
真蔵院 「雷不動明王石造道標」 |
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真蔵院「青面金剛像庚申塔」(左) 称専寺「地蔵菩薩像庚申塔」「阿弥陀如来像庚申塔」(右) (クリックで拡大) |
真蔵院「青面金剛立像庚申塔(元禄11年銘)」 |
称専寺「地蔵菩薩像庚申塔」「阿弥陀如来像庚申塔」 |
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庚申塔道標 (左) 東福院「青面金剛像庚申塔」(右) (クリックで拡大) |
上篠崎柳島の庚申塔河原道道標 |
東福院「青面金剛像庚申塔」 |
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