
昭和40年(1965年)ころは、まだ校歌のない学校が多かったが、このころから、校歌を作る学校が増え、開校したら校歌も作るようになった。
校歌を作ることになり、当時の先生たちは、ほかの学校とはちがうものにしたいという意見を強く出した。そこで、作詞は小林純一さんになった。
小林さんは何度も学校に来て、いろいろな先生と善養寺や土手などの学校のまわりを歩き、詞を考えてくれた。その時、花など自然が多く、発展していく地いきであることが詞となったのではないだろうか。そして、作曲は中田喜直さんになった。先生たちは、「夏の思い出」で有名な中田喜直さん、とびっくりしたそうである。小林さんと中田さんで童謡を作っていたからだと思われる。
こうして、できた詞の言葉を大切に、中田喜直さんが曲をつくってくれた。
昭和40年12月4日、校歌発表会が開かれた。小林さんも出席し、消防庁の音楽隊も演奏しにきてくれた。当時の先生たちもこのすばらしい校歌は今でも覚えているそうである。
校歌ができたときの話



