地域紹介 |
葛西には川が多かったので、人々は「べか船」という船に乗って、海でとったものや田畑で収穫したものを江東区方面などに運んでいました。また、交通が不便で、都心へ行くにもバスに乗って総武線の駅まで行かなくてはなりませんでした。
東京に工場やビルが増えてくると、海や川の水が汚れてきました。また、工場では地下水をたくさんくみ上げてたので、ますます土地が低くなり、川があふれることも多くなりました。1960年(昭和35)くらいからは、漁業を続けることがむずかしくなりました。
そこで、人々は協力して、土地の区画整理をはじめました。
1969年(昭和44)には、地下鉄東西線が西船橋までつながり、葛西駅もでき、都心への行き来が便利になりました。そして、葛西地区にはたくさんの家やマンションが建てられ、人口が増えてきました。また、江戸川区防潮堤も完成しました。
一方で、南葛西地区の空き地には、産業廃棄物(ゴミ)が不法に持ち込まれるという問題が起き、地元の人々が問題解決に取り組みました。
南葛西小学校が開校した1979年(昭和54)には、西葛西駅もでき、葛西地区はますます便利になりました。「清新町」「臨海町」の埋め立ても進みました。
1984年(昭和59)には、感情7号線が区内全線で開通し、陸上競技場やプールガーデンもできました。
1988年(昭和63)には、京葉線の葛西臨海公園ができ、翌年には、葛西臨海公園が開園しました。
1996年(平成8)には、国道357号線(湾岸道路)の荒川河口橋ができ、都心方面への交通がますます便利になりました。また、下水道も100%普及しました。
このように、葛西のまちは、人々の願いと努力で発展し続けています。とりわけ南葛西地区は、総合レクリエーション公園などの公園や緑も多く、暮らす人々もまだ増え続ける新しいまちです。そして、南葛西小学校は都内有数の児童数の多さを誇る学校なのです。